【石井ゆかりさん第4回】星占いは二元論でしか判断できなくなった大人の自分に、ほかの基準があることを指摘してくれる

小山龍介によるインタビューシリーズ。今回は大人気の星占いサイト「筋トレ」を主宰する石井ゆかりさん。その文学的で深い味わいのある文章が、多くの読者を惹きつけてやまない。ロジックや科学で割り切れる「既知の世界」だけではない、「不可知の世界」に触れてみよう。

(第一回「占いはもともと男性・為政者が使うものだった」第二回「星占いの世界観は人生を豊かにしてくれる」第三回「「希望」を持つというのは、ある意味、絶望しているということ」からの続きです)

長い時間をかけて書かれた本を読むといい

──今のビジネスマンって、新刊本ばかり読んで、古典に触れる機会が少なくなっていると思うんです。昔は上司や教師が「これを読め」とすすめるのは、たいてい古い本でした。

はい。

──石井さんは、『禅語』も古典だし、星占いもある種、古典だし、古典に親しんでいるように思います。古典に触れる意味について、どう思われますか。

私は、古い本かどうかよりも大事だと思うことがあって、人に「おすすめの本は何ですか」と聞かれてときに、「これです」と自信を持って言えるのは、長い時間をかけて書かれた本だと思うんです。さらに、長い時間、読まれ続けている本です。そうなると、イコール古典ってことになるのかもしれませんが。

今のビジネス書などは、たぶん1カ月とか、ひどいときは1週間くらいでサーッと書かれているのではないかと思います。何かがニュースになると、すぐにそれをテーマとした本が出たりするのを見ると、そうとしか思えない。

長い時間をかけて書かれている本というのは、書いている間にも時代状況が変わっているはずですよね。そんな変化を見つめつつも、著者が「これだけは言える」というところを書いたわけで、ある種、鍛え上げられているようなところがあると思います。だから、そういう本は、読み手が時間を注いで読む意味がある確率が高いんじゃないかと思うんです。

何より、たとえば、自分に5分しか割いてくれない人と、1時間割いてくれる人なら、どっちが本気だろう、どっちが好きになれるだろう、って思ってしまうんです。長い時間を割いてくれる人の方が、本気で自分のことをわかってくれるんじゃないかという気がします。それと似ています。

私も本を書くときはそうしたいなと思っています。…と言いつつ、大急ぎで12星座シリーズを書いたんですけど(笑)。

──アハハハ。

ただ、これは言わせください。12星座シリーズは、書いている時間は短いですが、私は「この星座は何か」ということを、それこそ10年ぐらい何回も書いているので、そういう意味では時間がかかっています!(笑)。

──そうですよね(笑)。

話が戻りますが、長い時間、読まれ続けている本がおすすめというのは、その本に読み手の力も詰まっていると思うからです。時間に耐えられるものというのは、本当に大変なことですよね。

だって、流行りすたりがありますし、いろんな時代的背景も変わっちゃうのに、そうした流れを越えてきているということは、いつ読んでもそこに何か新しいものが感じられるような、普遍性、泉の源みたいなものがあるんだろうと思うんです。

──石井さんは、そういう本を何度も読むタイプですか。

はい。同じ本を繰り返し読みますね。

──最近は多読や速読が主流で、同じ本を何回も読む人が少なくなったと思います。昔の知的生産の本を読むと、「同じ本を何回も読め」「覚えるぐらい読め」と書いてあるんですが。

ええ。

──時間の効率からすると、大量に、速く読んだ方が勝ちというところがある。でも、僕は同じ本を何回も読んだ方がいいんじゃないかなあって思っているんです。

そうですね。真剣に考えて書いた人の本を何回も読む方がいいと思います。うん、絶対そうだと思いますね。その人のイタコになれるぐらい何度も読んだら(笑)、自分の言葉になります。

多読するよりも、精読した方が語彙は確実に増えますよ。本の中に書かれている言葉が使えるようになる。私、自分で話しながら思いますもん。「あ、今、あの本のあの部分を読んでる!」って(笑)。

──アハハハハ。ただ、学生時代は時間があるので、気に入った本を何度も読むことができますが、社会人になってからだと、なかなかできないですよね。知っていることをもう1回読むような感じがして。

子供の頃は誰しも、気に入った絵本を何度も繰り返し読んだんじゃないでしょうか。言葉を自分の道具にするためなんじゃないかと思うんですね。受け売りとかコピーとかではなくて、自分の道具として「身につく」ということだと思います。

「座右の書」や「愛読書」と言われるようなものは、みんな何度も読んでいるわけですよね。一度しか読まないものを「愛読書」とは言わないと思います。その本にある言葉を、その思想をひっくるめて、自分の言葉にしてしまいたい、という気持ちが「愛読書」や「座右の書」につながるんでしょう。

多くの人が「座右の書」と言えるような本は、やっぱり時間をかけて書かれているだろうと思います。

サーッと書かれたものと、長い時間をかけて書かれたものとでは、やっぱり得られるものが違うと思うんです。ただ、今は著者の方も、読者が自分の本を読むのに、どれくらい時間をかけてくれるか、という前提がたぶんあると思うんですよ。

──ええ。

今の著者は、読者がそんなに我慢してくれない、忙しくて時間がなくて、机に座ってじっくり行間まで読んでくれる読者はほとんどない、というような前提で書いていると思います。そういう、書き手と読み手の呼吸みたいなものがあるんだと思います。

『禅語』なんかも、「1つの言葉につき、見開き2ページでコンパクトに収めてください」って担当編集者に言われて…。それなのに収められなかったという(笑)。

──アハハ。この本、リズムがあって、ホント面白いです。すごい感銘を受けました。

ありがとうございます。たぶん、「禅語」というものが面白いんだろうと思います。それと、星占いをやっているから、読み手がわかるように書かなければいけない、という意識が強かったからかもしれません。

「禅語」自体は、それを受け取る人が読んですぐわかってほしい、っていうふうにはできていないですから。わからない言葉を前にしてウンウンうなって考えることが1つの修練だ、というようなものですからね。

だからちょっと逆のことをしてしまったかもしれないです。「禅語」は本当は「わかっちゃいけない」のかもしれない。「わかった気になる」ことが一番ダメなんですね、禅の世界って。これも「わかった気になってる」のかもしれませんが(笑)。

──ハハハ。

子供の頃は、五感フル回転で本を読んでいた

──さきほど文化人類学の話で、違う地域でも似たような元型(アーキタイプ)を持っているという話がありました。

はい。

──そうすると、今、ビジネス書がたくさん出版されていますが、それを一度引いて見て、人間のどういう元型(アーキタイプ)があるのかを探ってみるといいかもしれませんね。そのとき、自分なりの古典を持っておくと、そこに普遍の元型(アーキタイプ)があるので、パッと浮かび上がらせることができる。

本というのは、自分が知らないことが書かれているのではなくて、自分がすでに知っていることが書かれているんじゃないと、意味がないし、つまらないと思うんです。自分の中にあることを、その本がどう説明してくれているか、じゃないですか。

──一般的には、本というのは自分の知らないことを学ぶために読むと思われてますよね。自分がすでに知っていることを読むのは、単に確認しているにすぎないんじゃないかと。

「知っていること」というのは、説明的に知っているという意味ではないです。たとえば、星占いの象徴でも、この記号はパッと見、ほとんどの人は知らないですが、「これはこういう意味だよ」「これはこういう象徴だよ」と説明していったときに、それこそ元型(アーキタイプ)なので、自分の中になきゃおかしいんですよ。

「それ、意味がわかりません」という場合は、知らないからわからないのではなくて、「自分が知っていること」とそれがつながっていないだけなんですね。ガチャッと刺さってないだけ。刺さりどころを探してガチャッて刺さると、全部がワーッとつながって、「ああ、自分と同じものがある!」みたいになる。そんなイメージです。

だから、「すでに知っていること」というのは、もう学んじゃった教科書をもう1回読むといったことではなくて、「そうそう、私、それが言いたかったのよ!」みたいなことがいっぱい書いてある本を読む、という意味です。「そうそう、私、それが言いたかったのよ!」。さらに、「そうか、そうも考えられるね。よしよし、握手握手!」みたいな(笑)。

──なるほど。

その「握手握手!」も、「私もそう思う。前からそう思ってた気がする!」みたいな、そういう体験ができる本というのが、たぶん一番いいんだろうなと思います。

──松岡正剛さん(編集工学研究所所長)が、「13歳までの経験でもう十分なんだ」とおっしゃったことがあります。「それ以降の経験はなくても、創造活動はできるし、小説だって書ける」と。

そうですか。

──それは、13歳までに人の元型(アーキタイプ)はすべてそろうということなんでしょう。あとはそのバリエーション。

そうなのかもしれないですね。子供の頃に読んだ本を大人になってからもう1回読むと、子供の頃の読書体験は異様だったなあって思います。五感フル回転で読んでいるので、食べ物の描写や写真の色にものすごく反応してたんですよね。

まあ、もともと私は本に影響されやすいんですが。サマセット・モームの本に、「パリの場末の居酒屋で、サンドイッチと安い白いワインをすすった」とかって書いてあったら、もうその瞬間から私の「サンドイッチと白ワイン」が始まってしまう。どこに行っても、「サンドイッチと白ワイン!」みたいな(笑)。

相当やりましたよ。海外旅行に行っても、喫茶店に行っても、もう繰り返し繰り返し。一カ月くらい泊まってたフィリピンのホテルでは、私が席に座るとそれが出てくるようになったくらい、しつっこい(笑)。

──アハハハ。

でも、大人になると、子供の頃ほどは本に出てくる食べ物に反応しなくなりますね。子供の頃はもっとビビッドだったと思うんですよ。

──梶井基次郎の『檸檬』っていう小説があるじゃないですか。

はい、はい。

──あれ、ストーリーは単純で、肺を病んで鬱屈している主人公が、レモンを爆弾に見立てて本屋に置いて、それが爆発したら面白いだろうなあと想像している話なんですよね。あの本の影響で、京都の丸善にレモンを置いていく人が多発したっていう。

ああ。

──僕、あれは「ものマニア」の小説だと思ってるんですよ。主人公は市場に行って、いろいろな食べ物を見て回って、たまたまレモンを手に取るんです。

はい。

──その食べ物の羅列が、若い時に読むと鮮烈だったんです。ところが、ツイッターで「あの本はものマニアの本だ」とつぶやいたら、「いやー、あれは青春小説だ」と反応する人がいて。この違いは何だろうと考えたときに、やっぱり当時の自分にとっては、食べ物の単語の羅列がビビッドだったんだろうと。

神経がむきだしになってるんでしょうね。大人になると、その神経をカバーするものがだんだん出てくる。面白いですね。

星占いは二元論でしか判断できなくなった大人の自分に、ほかの基準があることを指摘してくれる

──話を無理矢理、星占いに戻すと(笑)、星占いというのは、その神経をカバーしちゃったところを、もう1回むき出しにして、そもそも自分はどう感じてたんだろうとか、自分自身の元型(アーキタイプ)に接する契機にもなるんでしょうか。

なると思います。自分がもう使わなくなっていた道具のほこりを払うような。「実はこんな手もあるじゃない」って。たとえば、色鉛筆でも、短くなっていく色って決まってるじゃないですか。いつのまにか、赤と青ばっかり減ってる、とか。

──ええ。

でも、ほかの色もあるわけですね。「あなたの箱の中には、黄色も緑色もあるじゃない」っていう指摘にはなったりするかもしれませんね。

あと、さきほどから危惧しているように、「いい」「悪い」とか、「成功した」「成功しない」とか、「正しい」「間違っている」っていう、二元論っぽい価値観でしか判断できなくなってしまった大人の自分に、「もっといろいろな基準があるよ」ということを言える道具かもしれないですね、星占いは。

──ああ。

星占いは「象徴」であって、「定義」ではない

12星座というと、ときどき、「こんなにいろんな人がいるのに、たった12種類に分けられるわけないじゃないか」と言われるんですが、「じゃあ、12種類、どういうタイプの人間がいるか、言ってみてください」と言ったら、そんなに思いつかないと思うんです。

せいぜい血液型の4つぐらいでも、「当たってる、当たってる!」って、結構ビックリするんですよ(笑)。だから、それが12種類もあると、限定するんじゃなくて、むしろどんどん広がっていくんです。こんなにいろんな種類の人間がいるんだってことに気がつきます。

──たぶん、12種類のタイプがそれぞれデジタルではないからでは? 微妙にグラデーションになっていて、イメージの広がりがあるから豊かなんじゃないかと。

うーん。「象徴」というのは、「定義」ではないんです。星占いというのは、「象徴」の世界なんですけれども、「定義」ではない。辞書的な意味の対応ではないんですね。

──ああ!

「象徴」を説明しようとするときは、「その象徴の世界に属さないものは、こういうふうに違っている」という言い方をする方がわかりやすいかもしれないです。たとえば、「射手座」を説明するとき、「射手座の世界のこと」を説明するより、射手座的でないものを「これも射手座的でない、あれも射手座的でない」ってつぶしていった方が納得がいくんです。

その「象徴」の世界に属さないものを、世界中からみーんな塗りつぶして、なくなったときに、残ったもの全体が、その「象徴の世界」なんです。星座そのものを説明しろと言われても、非常に難しい。

──こういうときの「言葉」って、心もとないですよね。「犬」を「定義」しようと思っても、定義しようがなくて、「猫ではない」「キツネとも違う」といったかたちでしか定義できません。

そうです。基本的なことですが、「リンゴ」は、「梨」や「桃」と比べるから「リンゴだ」と言えるのであって。

──ブランドの「定義」もそうですね。「ルイ・ヴィトン」を「定義」しようと思ったら、「ルイ・ヴィトンはこうだ」とは言えなくて、「ルイ・ヴィトンはこういうことはしない」と、「やらないこと」を挙げていくことによって、ようやく「ルイ・ヴィトンがやるべきこと」が浮かび上がってくる、みたいなところがあって。

はい。

──何かを「定義」しようと思ったら、そういうやり方でしか表現できない。

それは言語の限界、言葉の方の限界ですよね。

──そうですね。

言葉はそういう意味で、恣意的なんです。「象徴」の方が骨格としてはバンッとしていてブレがない。

──そうかそうか。

ただ、その星座そのものを言葉で言え、と言われると、言葉の恣意性によって、うまくカチッと決められないんです。

──言葉よりどっしりしている。

そうです。元型(アーキタイプ)というのはそうなんですよ。曖昧ではない。言葉の方が、すごくいい加減なんです。

──これは面白いですね。

言葉と同じく、たとえば、通貨っていい加減なものですよね。通貨や金融というのは、数量で換算されて、厳密なもののように思えるけれども、レートが変わればすぐにグチャグチャになってしまう、適当なものです。

──はい。

言葉や通貨のような、ぐにゃぐにゃしたところが「象徴」にはないですね。言葉や通貨は、アウトラインによって決められているようなところがありますが、「象徴」は中心によって定まっている、というようなイメージです。言葉や通貨は相対的ですが、「象徴」は絶対的なんです。

──は~。

星占いは、時代をさかのぼればのぼるほど韻文になっていきます。詩や比喩になっていく。ノストラダムスの予言もそうですが、「アンゴルモアの大王が…」とかって、比喩で説明するんですよね。

だから、私の占いの文も比喩がすごく多い。比喩と比較です。私の書き方は「変わっている」と言われることが多いんですが、むしろ古典的なのかも知れません、そういう意味では。

──先日も、「乗り物」に例えていましたよね。「牡牛座はバスのような一日」「天秤座は観覧車」「水瓶座は魔法の箒」みたいに。

「あなたはとてもアグレッシブな人ですよね」と言っても、相手は「うん」とは言わないですが、「恋愛は追いかけられるより、追いかける方が好きでしょう?」と言うと、「うん」って言ったりする。比較したり、違う言葉や違う事実に置き換えたりすると、その「象徴」をうまく説明できるようになるんです。

私の書く言葉は「詩的だ」とか言われるんですけれども、実際は「そうでなければ言えない」んです。奇をてらっているわけではないんです。

──イメージが広がっていきます。こうした象徴や比喩というのは、創造のための方法であり、創造力の源泉だと思います。

はい。

──言葉のロジックによって何か新しいものが作られることはほとんどない。言葉から引き出されるイメージによって、新しいものが生まれるんですよね。だからこそ、比喩が重要になってくる。言葉にとらわれず、そこから新しいイメージが引き出されるんですよね。

星の動きと自分の身に起きたことが呼応すると、人間はすごく興奮する

──「筋トレ」の話に戻ると、作家になるための訓練として星占いのサイトを始めて、何か文章の創造性なり、クリエイティブな活動に刺激はありましたか。

人とコミュニケーションする手段として、星占いは面白いです。あと、多くの読者に読んでもらえるという絶対的な体験をさせてもらいました。

というのも、星占いはさきほども言ったように、「あなたは…」と呼びかけるメディアなので、読者がすごく興味を持ってくれるんですね。小説を書くよりも、100倍の興味を持って読んでくれる。普段は本なんか読まない人でも、自分の星座の占いだけは欠かさず読んだりするんです。

なぜなら、そこには自分のことが書いてあるからです。誰か知らない人のことじゃなくて、自分自身のことです。それが当たろうが外れようが、自分に向かって書いてあるから、当然「読みたい」という気持ちは強くなります。

──ええ、そうですね。

「自分がどうなるのか」を言われるのは、ある種の脅迫です。だから、文筆活動として、一番卑怯なやり方なんです(笑)。私の占いを読んでくださって、「感動しました」とか、ときどきは「涙が出ました」というご感想もあったりするのは、私の文章がうまいからというわけではなく、「自分のことだから」という理由が半分以上を占めていると思います。

占いを書くことによって、たくさんの読者に積極的に読んでもらって、書くということをずっと訓練させてもらえた。それはすごくありがたいですし、やっぱりみんなのいろんな話を聞けて、いろんなことがあって、始めた頃よりも多少は人間的に成長したかなと思います(笑)。そういう意味では、非常にありがたいツールです。

でも、星占いは、私にもそうですが、何より読み手にとって、ツール、手段でしかない、と思っているんです。

──それよりも、「既知の世界」と「未知の世界」の外側に「不可知の世界」があるといった話の方が創造性を刺激するのでしょうか。

はい。私は大学のときに、「生活空間論」という講義を取っていて、そのときに、生活空間(既知の世界)と、その周りに広がる真っ暗な、森のような山のようなところ(未知の世界)と、その向こうの世界(不可知の世界)と、というマップの中で人は生きている、という話があったんです。

それと星占いの世界とはピッタリ重なるんです。占いの中にある構造がそうなっているし、社会の中で占い自体が置かれているいる場所の仕組みもそうです。入れ子になっているような感じです。

──人類学者の中沢新一さんは、「不可知の世界」と「日常の世界」は、対称性があって、こっちの世界にあるものはあっちの世界にもバランスとしてある、と言っています。

はい。

──たとえば、こちらの現実の世界で熊を殺すと、バランスが取れなくなるので、何かお供えものをして、両方のバランスを取るんだ。世界中の原始的なお祭りはすべてそういうバランスを取っているんだ、と。

ええ。

──創造性というのは、あっちの世界と交流して、それを解釈したりすることから生まれる。双方の流動性がとても重要で、「流動する知性」みたいなことを言っています。

生活空間に、あっちの世界から、たとえば「マレビト」と呼ばれる人たちが入ってきて、何かお芝居などをやって帰る。これも一つの流動でしょうね。

あと、「コレスポンダンス」という言葉がありますね。「天にあるものはすべて地にある」。生活空間の方がノイジーで、星の世界の方がイデアの世界みたいに純化されたものだ、という考え方です。古い時代の人々は、星の世界で起こっていることと、我々の世界で起こっていることは、ノイズの差はあれど、呼応していて似ているんだ、という考え方をしていたようです。

人間って、「似ているもの」にすごく興奮するんですよ。たとえば、毎年、エッチな形をした大根が話題になるじゃないですか。あれ、ただの大根なのに、人間に似てるってだけで興奮する。

──アハハハハ。

それと同じように、星の動きと自分の生活が呼応すると、すごく興奮するんです。星がピッと動いたら、自分の身に何かがワッと起きた。そうすると、「これは意味があるんだ!」って腑に落ちるんですよ、なぜか人間は。

──うーん。因果関係はないですからね。

そうなんです。それがないのに、どうも因果関係だと思うこと自体が妙ですよね。因果関係ではなく、同時性があるんだと思います。まあ、「シンクロニシティ」というのはそういう考え方ですけれども、なぜか人間は「こっちがスイッチで、こっちが結果だ」と思ってしまうんです。

「何かスイッチがあるはず」「誰かが押してるはず」みたいな。そういうふうに考えたいという人間の心があるんだなあって思います。

──そうですね。

星が運命を作っているわけではない

私は占いをするときに、「星の影響」という言葉を絶対に使わないように気をつけています。「これは星の影響なんでしょうか」とよく聞かれるんですが、「私は星の影響だと思わないですが、星の動きと日常世界で同じような感じのことが起こってましたね」というふうに言います。

──ああ。

「星の影響」というと、やっぱり「あっちの世界がスイッチだ」ということになっちゃいますよね。だけど私は別に、上からビリビリビリッと来て、何かが起こっているというふうには言いたくないし、思いたくもないし、実際、そう証明されているわけではないので、そうは言えないです。

「時計が時間を作っているわけではないように、星が運命を作っているわけではないですよ」という言い方をするんです。

──いや、すごく面白いです。

すいません、ベラベラベラベラしゃべっちゃって(笑)。

──いえいえ(笑)。さきほど、「星占いは文筆活動として一番卑怯なやり方だ」とおっしゃいました。読者は自分がどうなるのかを知りたくて、かぶりついて読んでしまうからと。

はい。

──とはいえ、書く側としては読者の心に届くように書こうと、文章トレーニングになったりしますか。

そうですね…。「心に届くように書くトレーニング」というのは、ちょっと違うと思います。「伝えたい」「届けたい」みたいな気持ちというのは、私の中には少なくもまだ、あまりないのかもしれません。むしろ、怖がりながらやっているフシがあります。読み手は、占いを読んで、「自分のことだ」と思うわけじゃないですか。だから怖いんですよ、書くのがすごく。

読んだ人が傷ついちゃったら悲しいですし、元気が出なかったらイヤですし。星占いという、こんな科学的根拠のないものをもとに書いているわけですから、なおさら怖いんですね。常に罪悪感と恐怖の間で書いています。

──石井さんの文章を読む側としては、全然傷つかないし、むしろ励まされますけどね。

そう言っていただけると非常にありがたいです。

──僕は、すごく倫理観のある文章だと思うんです。

私の文章は、実は怒りが強いんです。「ちまたではこういう風潮が強くなってるようだけど、それってどうなんだろう?」っていう、漠然とした怒りです。

「『婚活』ってなんだよ!」とか、「『人材』ってどういう言葉だよ!」とか、主に、人をものみたいに扱ってるからそうなるんじゃないかと思える考え方に怒りを感じていて、それに対して反論したいような気持ちが、占いの中にいつもある気がします。でも、それは読者に対して向けられている怒りではないから、その書き方をいつも、すごく考えてはいると思います。

──越えてはいけない一線を設けたり。「星の影響でこうなります」とは絶対書かないとか。

最低限、これは守ろうというルールは自分の中でいくつかありますね。「信じさせるようなことは言っちゃいけない」とか。

忌み言葉みたいなのもあります。「切る」「別れる」「終わる」は使わない。その言葉を書いたら、全然違う文脈で書いたとしても、恋する乙女は「え、彼と終わりなの?」って思ってしまうんです。文脈じゃなく、単純に、恐れている単語に反応してしまう。だから、そういう言葉は使わずに書きますね。

──じゃあ、「切る」「別れる」「終わる」はどういう表現になるんですか。

そういう言葉を使いたいようなときは、「変わる」とか「収束する」とか「一段落する」とかにしてると思います。実際、そういう雰囲気なんです、星の動きって。だって、星が消えてなくなるわけではないですし、星が分裂するわけでもないですから(笑)。

決して、オブラートに包んでいる、という意味じゃないんです。むしろ、誤解されたくないから、誤解されそうな表現を使わない、ということです。なんか違う言い方はないかなあっていう、そういう言葉の模索は日々ありますね。

──いい“筋トレ”になりますね。

でもこれ、ほかのことには丸っきり役に立たないんですよ、ははは。

──(笑)ちょっと違う筋肉がついちゃう。

石井ゆかり

独学で星占いを習得し、2000年にウェブサイト「筋トレ」(http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/)を立ち上げる。年間・週間の12星座占いを情緒あふれる文体で語り、延べ約2500万アクセスを記録。雑誌や携帯コンテンツなどで占いを執筆するほか、星占い以外の分野でも著作を発表している。第7回Webクリエーション・アウォードにて「Web人賞」受賞。『牡羊座』~『魚座』までの12星座シリーズ(WAVE出版)、『12星座』(WAVE出版)、『星読み ホロスコープなしでわかるあなたの運勢』『愛する人に。』(幻冬舎コミックス)、『星占いのしくみ』(共著・平凡社新書)、『禅語』『いつか、晴れる日』(共著・ピエブックス)など著書多数。

Ryusuke Koyama

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